猫が星見た

映画の感想

バッテリー/あさのあつこ

今更だがこのベストセラーシリーズを読んでみた。


……しっかしこれ限りなくBLでないかい?普通の小説読んでてなんともいえないお尻のむず痒いこっぱずかしさを味わったのは有栖川有栖の作家シリーズを読んで以来2度目である。どちらもライトノベルの類だからか?嫌いじゃないが何となく気味が悪い。児童文学を読んでBL臭を感じる自分が気味が悪いし、作者のキャラクターに対する偏愛が伺えてそういう点でも気味が悪い。気味が悪いっていうのは言いすぎかな。ヒく、と言えば適当か。これがいっそのことBL小説だったらお!良質のBLだね、で終われる程度にはBL小説は読むのだが、どうも普通の小説からやおい臭がするといたたまれなくなってしまう。
主人公の天才ピッチャー原田巧とキャッチャーとして女房役をつとめる永倉君は2冊目くらいまでは普通の友情を育んでいるのだが、どうも3冊目辺りから互いにもじもじし出し、心の中では相手に対する独占欲むき出しになっていたりするのでほんと、読んでるこちらが恥ずかしかった。(一応“こいつの投げるボールを”ってことだけど)誰にも渡すもんかってそれ友情じゃなくて愛情だよな……。そんで中学生なりたての子がそこまで他人を渇望するっていうのが個人的には違和感があった。12、3才でそこまで強く他人を欲しがるもんだろうか。私が中一の時は全くそんな感情はなかったぞ。私が成長鈍かったんだろうか。
これを言っちゃあ小説全部おしまいなのかもしれないが、正直全体的にリアリティがない子供たちだと思った。面白いキャラクター造形ではあるんだけど、会話のやりとりがあまりにも駆け引きめいていてかわしたりかわされたりと腹の探り合いみたいなところがありすぎるので、“こいつら頭よすぎるで”というか“お前らやり手の営業マンか”と思ってしまう所がある。さわやかさを確かに感じるキャラクター達ではあるんだけど、よくよく読んでみると実は会話と行動がすごくずる賢い(うまく立ち回るっていうのかね)のだよね。皆絶対世渡り上手だと思う。
4巻以降肝心の原田永倉バッテリーが全然動かなくなってしまって、少々ひねた悪人になりきれない青年・瑞垣が異常にストーリーを動かしてそれが最終巻までいってしまっていったのも意外で残念だった。多分作者の思い入れなんだろうなあ。中一の心書くより中三の心の方が書きやすかったというか、瑞垣の心の悩みが大人のそれに近かったから筆が進んだんだろうなあと思う。3巻辺りから原田永倉がふにゃふにゃマーブル状態になってなんかはっきりしなくなったのに反して、瑞垣のキャラが立ちすぎていた。あと吉貞がなにかにつけてタイミングよすぎ。吉貞といい永倉といい周りの空気読めすぎでいい子すぎてこれまた尻がむず痒くなった。
バカ売れする理由も分かるけど、それってなんつーかキャラ立ちが素晴らしいっていうことに大半が起因しているような気がする。キャラ萌えする、んだろうなあ。萌えはオタク的なので別の言い方すると羨望ですな。この子供達は多くの人が掴みそこなった、もしくは気付かずに通り過ぎてしまった大事なものを確かに持ってる。大人なんかより確固たる信念があって皆ある意味完璧なんですよ。完璧すぎて神々しいんですよ。作者がキャラクターに自分の希望願望を注ぎ込みすぎた感が多いにあって、それが私のお尻をむず痒くしてるんだけれども。
キャラが立ってるってそれだけで6冊ちゃんと読ませてくれたけれど、“バッテリー”とタイトルうったわりにその点が消化不良尻つぼみになって原田永倉がどういう変化を遂げたのかちゃんと知りたかった人には微妙に不満が残る作品ではないのかなと思う。私はそう。あと、風景の描写はすごく細かくて本から薫ってきそうに良いのだけれど、野球のシーンの描写が結構きびしいなあ。スカスカほにゃほにゃな感じがした。まあ別にスポーツ小説じゃないからいいんだけど、最終巻の終り方はあまりに肩透かし、はずしすぎたと思う。原田の心情が今ひとつ書ききれてなかったせいなのか、最も大事な対決のシーンと作者が真っ向勝負できなかったのは痛いと思った。書けなかったんだろうな。(と勝手に想像する)
自分でも謎なのだが、個人的に好きなのは1巻で特に終わり方が気に入っている。友達からもらったポケベルをためらいなくさっさとゴミ箱に投げ捨てられる主人公っていうのは今までにないヤな奴だな、唯一の存在(永倉)に出会ったのに全然性格が矯正されないなんてやるな、と新鮮だった。私って性格悪いな。