猫が星見た

映画の感想

バベル(BABEL)

ロッコ。山羊飼いのアブドゥラは知り合いから一挺のライフルを買い、それを山羊に近づくジャッカルを追い払うためとして息子の兄弟アフメッドとユセフに与えた。すると、兄弟は遠くの標的めがけて遊び半分で射撃の腕を競い合い、ユセフが険しい山間部を走ってくる一台のバスに引き金を引く。そのバスには、一組のアメリカ人夫妻リチャードとスーザンが乗り合わせていた。彼らは、生まれて間もない3人目の子供を亡くしたことがきっかけで壊れかけた絆を取り戻そうと、2人だけで旅行にやってきた。ところが、どこからか放たれた銃弾が運悪くスーザンの肩を直撃。リチャードは血まみれの妻を抱え、医者のいる村へと急ぐ。一方、夫妻がアメリカに残してきた幼い子供たちマイクとデビーの面倒をみるメキシコ人の乳母アメリア。息子の結婚式に出るため帰郷する予定が、夫妻が戻らず途方に暮れる。やがて彼女は仕方なく、マイクとデビーも一緒に連れてメキシコへと向かうのだった。日本。妻が自殺して以来、父娘関係が冷えきっている東京の会社員ヤスジローと女子高生になる聾唖の娘チエコ。またチエコは満たされない日々に孤独と絶望を募らせていた。そんな中、モロッコの事件で使用されたライフルの所有者として、ヤスジローの名前が浮かび上がる…。

見る前からソダーバーグ監督の「トラフィック」に似ているんだろうなと思ったのだが、この「バベル」は「トラフィック」と違ってカタルシスを得ることが全く出来ない陰気に落ちる一方の映画であるので注意が必要である。多分監督のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥさんは頭はいいが相当屈折した人生を送ってこられたのだろう。同情するが、これを見ると“わたしらこの世界で何信じりゃいいの?”という諦めネガティブがうつってしまいそうですごく嫌な感じがした。
映画としての迫力があるので、150分もの間飽きさせることはないのだが、壮大なテーマがありそうで実は「誤解」というものしか描いていないのでなんだかな〜である。「誤解」によって「不条理」なことが起きる。まあ世界の揉め事の大半がそうやって起きてるのは事実だろうから、世界の普遍を描いているということで見方によってはすごい傑作と捉えられるのかもしれない。
でもなんだかな〜〜〜。
すごく頭でっかちな感じがしました、ただのカンだけど。実際はこの監督は世界の泥臭い部分なんて何も観ていなくて、大半を空想で補っているように思いました、カンだけど。無駄に人間を不幸にして何か訴えたがるいやらしい監督だなあと思いました、カンだけど。同じタイプだと、ラース・フォン・トリアー監督とジュゼッペ・トルナトーレ監督らへんです。どちらも大嫌いな監督です。
しかし東京の部分はなんだったのでしょう。菊池凛子が刑事に渡したメモには何が書いてあったのか皆気になっています!それにモロッコとメキシコには共通したテーマ「人種差別」みたいなもんがありましたが、東京パートには全く何もありません。少女の性衝動と愛されたい願望と……全く関係ないやんか!しかも菊池さんが服を脱いで裸で誘ったり……、なんというか昔のトレンディードラマ思い出しましたけどぉ。そんでウィスキー回し飲みって……。違和感のある東京でした。聾唖である必要性も全くないことに今気付きました。やっぱりこの監督あざといやっちゃな!!
全てのエピソードにちゃんとした結末を用意していないこともこの監督の小ズルイところではないでしょうか。
(2008年3月18日・WOWOWで)